明治初期(1868~)白井宝珠師が中山法華経寺に有縁の尊像と伝えられる鬼子母神を祀り、唱楽結社を創立したのにはじまる。
昭和3年(1928)宝晃院日勤上人は、顕教院日高師から浅草唱楽結社を継承して発展させた。昭和20年現在地に移転。昭和27年、宗教法人法施行とともに唱楽教会として認可された。昭和53年、日蓮宗に所属し、昭和54年宗祖七百遠忌記念事業として現在の本堂を建立。
昭和56年に寺号が公称された。